輝く空へ翔って 1
まぶたを照らした眩しい光に目を覚ます。暖かい光。小鳥の囀り。ガラステーブル。
気が付くと茶色い床の上で寝転がっている。ひんやりしたタイルの感触。皮膚に残る痛み。それだけ。それが世界の全て。
「なんで……?」
反射的に呟く。
状況が理解できない。何か考えいたのだけど。頭の中になにかあったはずなのに、なにもない。綺麗さっぱり抜け落ちている。なんだろう。なんだっけ、なにがないんだっけ。思いつかない。
歩こうとしたとたん地面が消えたような感覚。目が覚めたばかりなのに、何も出来なくて、もどかしい。目覚めは良い。ぱっちり目は覚めてる。
焦燥感が胸を捉えて、落ち着かない。
天井のライトが眩しくて、顔の半分を手の平で押さえる。見ると正方形のタイルが敷き詰められた床は、ぴかぴかに磨かれていて木目が綺麗だ。
薄い茶色の板材に濃い茶色の木目。タイルとタイルの間の溝には少し埃が溜まってる。
窓の外では青空を小鳥たちが通り過ぎていく。部屋は広くて、窓も天井もとても高い。大きな窓の向こうからエンジン音が響き、飛行機雲が遥か遠くへ伸びていく。
ぼんやりとそんな景色を眺める。
…………
なにもない。
なにも思い出せない。
真っ白だ。
ここはどこだろう?
広い部屋をぐるりと見回す。キッチンとガラステーブル。清掃用具。机と椅子。それから大量の収納ケース。
どういう目的で作られた空間なのかよくわからない。
タイルの上に座り込んだまま、部屋の中を眺める。
......
無音。
窓の外の鳥たちも、飛行機も、どこかへ行ってしまった。
時計の分針が動く音だけ、時折響く。
............カチ............カチ
.......................................
5回、10回。
……………………………………………………
何度鳴ったかも、わからなくなった。
自分でもよくわからないうちに涙が零れ落ちる。空っぽの心を涙が埋めていく。
カチン。
乾いた音が鳴って、時計の短針が動いた。
大粒の涙が零れ、両方の手の平でそれを押さえる。
誰もいない部屋。なにも思い浮かばない頭。
まるで寝ている間に何かが、大切なものを全部隠してしまったみたいだった。
「寂しい」
彼がそう考えたとき、「掃除♪掃除♪」と口ずさむ声が入り口の向こうから響く。
男の子は驚いて、涙を浮かべたまま白い扉を見つめる。
声の主は部屋の中の事情など露知らず、カチャリと呑気な音を立てて鍵を回し、白い扉を開けて部屋へ入ってくる。
真っ白なフリルをふわりとはためかせて、
ガッシャーン。
車が衝突するような音が響く。
メイド服を着た少女は、少年と目が合った瞬間素っ頓狂な声を上げて、廊下へすっ飛んで行った。少年は呆気にとられる。
少し間を置き、扉の影からピンク色のツインテールが片側だけスッと現れ、可聴域ぎりぎりの声量で質問する。その顔はマスクとサングラスで完全防備されていた。
「誰……ですか……?」
「あ、あの、僕は、えっと、」
「どう……やって……この部屋に入ったのですか。……鍵、……かかってました……よね?」
「それは、その……」
ピンク髪の少女は男の子を見つめている。サングラス越しに。格好だけ見ると普通に不審者だが、少年は狼狽えることなく、一度唇を結んで、きっぱり言い切った。
「わかりません」
「……わからない?」
サングラスとマスクをつけた顔が傾く。
「なにをしていたのかも、自分が誰なのかも思い出せないんです」
ピンク髪の少女は相槌を打たずに暫く男の子の顔を見つめてから、もう一度訊いた。
「つまり自分で入ったわけでも誰かに連れてこられたわけでもなくて、気づいたらここにいたってこと?」
「そう、です」
「……は〜、びっくりした……」
答えを聞いて納得した少女は溜息を吐いてマスクとサングラスを外した。
「鍵はかかってたし、誰か来る予定もないし。まじで焦った」
「お、驚かせちゃってごめんなさい。あの、ここってどこですか」
「待って」
男の子の質問を少女は遮る。そういう話なら、そうなのだ。つまり彼にとって、この世界で最初に出会った相手が、彼女なわけだ。
「まずは自己紹介させて」
メイドらしく、リボンが付いた青白2色のワンピース。手足には白いシュシュを巻き、白いカチューシャとスカートの中央には錨のマーク。靴の色は服と同じ2色。ピンク色のツインテールは青いリボンで結ばれていて、ツートーンカラーのアクアマリンが内側から覗く。
片足を引いて頭を下げ、スカートの裾を広げて千両役者の美声を響かせる。
「はじめまして。この学校でバーチャルマリンメイドをしている、湊あくあです」